【中央社コルカタ18日】インドと中国が1962年に国境紛争を引き起こした際、コルカタで暮らしていた多くの客家華人が「強制収容所」へと送られた。彼らの大半は後に解放されたものの、この出来事はコミュニティに深い不信感と恐怖を植え付け、その後の華人の流出を決定づけることとなった。
イギリス植民地時代、首都がコルカタに置かれていたことから、同地は港湾や鉄道、道路網が整備され、東インドや周辺国への玄関口として発展した。コルカタの華人コミュニティの歴史について、華人指導者の陳学良氏は、梅県出身の客家人が皮なめし業で成功し、それがさらなる移住を呼び、全盛期には数万人の華人が居住していたと語る。
しかし、1962年の紛争が転機となった。インド政府は安全保障上の理由から、インド国内で生まれ育った華人をラージャスターン州の収容所へ送り、5~6年にわたって勾留した。収容所内で生まれた子供たちもいたという。
華人街「タングラ(Tangra)」で育った熊心玲氏によると、当時の華人にとってこの街は聖域であり、外部に出ることは恐怖を伴うものだったという。また、陳麗娟氏は、台湾に移住した息子が自由な生活に慣れ、「どれだけ苦労して逃げ出したか分からない。二度と戻らない」と語ったエピソードを明かした。
翻訳家の劉国康氏は、かつて1万人以上が暮らしたタングラの衰退について言及し、紛争による心理的な不安が住民を国外流出へと駆り立てたと指摘する。劉氏自身、子供たちを海外へ送り出すことを望んでおり、自身も機会があれば出たいと語る。「いま残っているのは高齢者ばかり。学校も維持できず、ただ運命に身を任せて一日一日を過ごしている」と、コミュニティの先細りに無念の思いを吐露した。
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- 出典:中央社 CNA
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