第二次世界大戦終結時、日本は捕虜を各国に送還していたが、沖縄から出発し、解放された米軍捕虜をフィリピンへ運ぶ輸送機が台湾の三叉山で墜落し、救助活動を含め51人が死亡した。この感動的な台湾の戦争史を映画化するため、監督の魏徳聖は6日、美術チームとともに当時の救出ルートを歩き、飛行機の残骸を探した。

魏徳聖は6日、美術チームと三叉山義勇記念会準備会の主任委員である許順隆、当時の救助活動で亡くなった者の遺族で、現在は関山鎮月眉里長を務める黎光祥らとともに、農業部林業及自然保育署台東分署関山工作站の職員の案内で、当時の救助ルートを歩き、飛行機の残骸がある地点へ向かった。

魏徳聖(前列左4)は新映画制作を控え、6日に三叉山事件の遺族とともに当時の救助ルートを歩き、飛行機の残骸を捜索した。(中央社)

魏徳聖は取材に対し、現場までの道のりが遠く、実際に撮影するのは難しいが、どこにどんな環境があるかを把握することで、今後の代替ロケ地の選定やスタジオセットの再現に活かせるため、美術スタッフを連れて現地を踏査したと語った。

遺族代表の黎光祥は、救助隊の26人の犠牲者のうち1人は自分の祖父だとし、「祖父は今も山の上にいる。絶対に会いに行くと決めていた」と語り、今回の踏査が個人的に非常に意味深いと述べた。また、同行した全員の安全を願った。

魏徳聖(前列左3)は6日、美術チーム、救助活動の遺族、農業部関山工作站の職員とともに、山道を歩き飛行機の残骸を捜索した。(中央社)

一行は当時の救助ルートである戒茂斯山→妹池→嘉明湖→大草原→拉庫音溪を踏破し、飛行機の残骸を調査した。8日に残骸地点に到着予定で、9日には三叉山から嘉明湖、向陽山屋へ下山する予定だ。

1945年8月、第二次世界大戦が終結した1か月後、日本が捕虜として抑えていた米軍および連合国捕虜を移送する輸送機が、中央山脈の三叉山付近で墜落した。機内にはアメリカ人11人、オランダ人4人、オーストラリア人5人、乗務員5人の計25人が乗っており、全員が死亡した。

その後、山へ向かって救助活動を行った関山庄(現・関山鎮)の住民たちは、アミ族12人、閩南人1人、客家人1人、平埔族1人、ブヌン族1人、卑南族1人、日系警察2人、日本憲兵7人の計26人が遭難し、命を落とした。

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