最近、少子化の中でも「私立学校が逆に満員」という異常な現象が話題になっている。その背景には、公立学校が『校园濫訴』という問題に苦しんでいることがある。次々と発動される調査により、教師たちの情熱は失われ、誤って告発された教師が司法で無罪となっても、制度的に教職を離れざるを得ないケースまで出ている。

このような悲惨な事例が相次いでいることで、現場の士気は大きく損なわれており、多くの教師が『防衛的教學』に後退している。これは決して誇張ではない。今年実施された全国の小中学校教師5,000人以上を対象とした調査によると、96%の教師が誤解されて告発されるのではないかと不安を感じており、約80%が生徒の指導において『手続きの合法性』を教育的効果よりも優先していると答えている。

さらに驚くべきことに、教育省が指導上のトラブルに対応するために設けた調査・支援人材プールの規模は、1,400人以上に達している。これは全国の検察官の総数を上回る規模である。刑事事件さながらのリソースを学校現場に投入している現状は、教育制度の本末転倒ではないだろうか。

教育省は今年、『校事會議新制』を導入し、正式調査に至る件数が大幅に減少したと発表し、濫訴が抑制されたと主張している。しかし実際には、約半数(45%)の案件が『内部の評価手続き』に移行されただけであり、濫訴の根本原因は解決されていない。外部の圧力が、単に校内の行政的空回りに変換されているにすぎない。

過去のデータによると、最終的に解雇や職務停止に至る『実質的な排除率』はわずか3.3%程度である。極めて少数の不適切な教師を対象とするために、膨大な行政リソースを消費している現状は、本来の教育活動の資源を圧迫しており、多くの真面目な教育関係者が声を失っている。

さらに問題なのは、この防止体制がしばしば文脈を無視した裁判のような公開審問に堕している点だ。例えば、生徒の悪戯による突然の身体的攻撃を受け、痛みと驚きの中で反射的に手を振って防いだ教師が、被害者であるという前提を無視され、『不適切な指導』と判断され、訓告処分を受けた事例がある。制度が教師の『人間』としての基本的な防衛権を奪っている以上、問題行動に対して『無関与』が最も合理的な選択となる。その結果、大多数の生徒の学ぶ権利が犠牲にされている。

根本的な解決策は、煩雑な『校事會議』を廃止し、紛争の実質的な審議を、各地方政府で既に成熟した運営実績を持つ『教師專業審查會』(専審会)に一元化することにある。専審会は行政、学界、校長、保護者、教職員団体の代表から構成され、外部監視の客観性と教育の専門性の両方を確保できる。

国民教育は権利であると同時に義務であり、対価を伴う『サービス』ではない。極端な防止志向を捨て、学校を裁判所化するのを止め、関係修復と専門的審議に制度を向け直すことで、保護者と教師の信頼関係を修復し、公的教育体制を救い、次世代の学ぶ権利を真に守る現実的な解決策となるだろう。

*著者は全教総政策部副主任

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