古装ドラマで見られる宮女は、主君の身の回りの世話をし、ミスをすると罰せられるが、実際の歴史上の宮女は「無給」ではなかった。清代の資料からは、宮女は月給を受け取り、衣食も宮廷が供給していたことが分かる。節祭や主君からの贈り物で追加収入もあり、女紅(手芸)で収入を増やす者もいた。退宮時には身分や勤続年数に応じて賞銀が支給され、長年勤めた者は退宮時に貯金を持っていた。ただし、各時代の宮女制度は異なり、漢・唐・明・清を一括りにすることはできない。以下は故宮博物院の研究や『宮女談往録』『清稗類鈔』『国朝宮史続編』などの資料を基に、史料が比較的整っている清代の宮女生活に焦点を当てた分析である。
清代の宮女の月給は統一されておらず、時期や身分、仕事内容によって異なった。晩清の何榮兒の記録では、月給は2両銀子だった。宮女の衣服や生活用品は宮廷が供給し、季節ごとに交換された。宮女は宮廷内で生活し、外出が制限されるため、生活費を節約できた。しかし、宮廷の規則は厳しく、長時間の奉仕や行動の制約があった。
宮女の収入源は月給だけでなく、節祭や主君の誕生日などで賞金を受け取ることもあった。特に主君の信頼を得た宮女は、より多くの賞金を受け取る機会があった。何榮兒の記録には、乾阿瑪(養父)からの贈り物として2両銀子を受け取ったことが記されている。
一部の宮女は女紅で収入を得ていた。針仕事や刺繡を作り、太監を通じて売却していたが、材料費や販売価格で太監が利益を得ることもあった。
清代では、宮女は25歳で退宮することが規定されていた。退宮時には、勤続年数に応じて賞銀が支給された。15年以上勤めた場合は30両、10年以上15年未満は20両、10年未満は10両が支給された。何榮兒の記録からは、宮女が退宮時に貯金を持っていたことが分かる。
ただし、全ての宮女が退宮時に貯金を持てたわけではない。家庭の負担や宮内の人情支出、主君の待遇の違いなど、個人差があった。
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- 出典:PR Times
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