吉祥寺で10年、武道家の店長がこだわった店づくり
他県からもわざわざ食べに来る客が後を絶たない、東京の家系ラーメン「武道家」。なかでも吉祥寺店を10年率いてきた河埜 丈士(こうの じょうじ)氏は、ラーメン好きの間ではちょっとした有名人だ。
吉祥寺の街を歩けば「おう!」とすれ違いざまに声がかかる。飲食業からサラリーマンまで、業種の違う人からも「あ、ジョージさんですよね」と名前が出る。
この街にとって、もはや欠かせない存在と言っていい。
メディアに紹介される人気店だけに、最初は"話題の店"として訪れる人がほとんど。それが、ひと口スープを啜った瞬間に通い続ける常連になり、やがてはラーメンではなく、河埜氏に会いに来る客まで生まれていく。
吉祥寺で知る人ぞ知る名物店長
河埜氏は言う。「うちの味は、所謂"庶民の味"なんですよ。でも庶民の味って、ラーメンそのものだけじゃなくて、接客も含めてだと思うんです。『いってらっしゃい』『おかえり』が自然と飛び交う雰囲気。それが『また来たい』に繋がっているんだと思います。味はもちろん追求しますが、接客には特に力を入れましたね」
「時給が発生してんだよ、お前。」背中で見せてくれた大将の教え
300キロの豚骨を強火で炊き上げた、濃厚で深みのある茶褐色のスープ。これが武道家に熱狂的なファンを生んできた看板の味だ。香り高い豚骨の旨みに、店ごとの個性が乗る。
これだけでも十分に客は呼べる。それでも河埜氏が誰よりこだわったのは接客だった。
「武道家に入ったのが10代の頃で、初日からいきなり大将に怒鳴られたんです。『この時間もお前の時給が発生してんだよ。入ってきたお客さんに、こっちがちゃんと"いらっしゃいませ"って気持ちよく迎える。そうやって初めて成立する関係なんだよ。お客さんが来てくれることを、当たり前だと思うな。』と」
最初は「うるせーな」くらいにしか思わなかった。でも、ふと周りを見渡すと、その大将には熱狂的なファンが何人もついていて、週に何度も顔を出す常連で店が賑わっていた。
「ああ、こういう関係って作れるんだ、って。素直に、この人を超えてみたいと思いました」
罵声と、たった一言の「最高だよ」。人に学び、人に救われた数年間。
スープ作りを任されるようになってからは、「全然違うよ」「美味しくない」と罵声を浴びる日もあった。心が折れて、しばらく仲間とも距離を置いた時期もある。
それでも辞めなかった。お客さんの一つひとつの声に耳を傾け、失敗と成功を繰り返すうちに、応援してくれる人がぽつり、ぽつりと現れるようになる。
「『最高だよ』『すごく美味しくなった』って声が増えてきて。その一言が、本当に嬉しかった。」
少しずつ、ファンが付き始めた。河埜氏は地域の飲み屋にも自ら足を運び、街の人と顔を合わせ、気づけば店主仲間も常連客も"家族のような関係になっていた。
「お客さんから学び、お客さんから救われた日々でした。その感謝の気持ちが、そのまま接客に繋がっていて。いつしか『いってらっしゃい』『おかえり』『またね』『また明日』。年上のお客さんにも『待ってるよ』って自然に言える店を作ろうと決心したんです。」
26歳の終わり、吉祥寺店の店長に就任。入社からわずか数年で、ごく普通の青年は、ラーメン業界の名物店長へと変貌を遂げていた。
吉祥寺から銀座へ。「庶民の一杯」に込めた決意。
「吉祥寺でやるならまだしも、なんで銀座?」
長年のファンや仲間たちに衝撃が走った、河埜氏の独立宣言。吉祥寺で店を出せば、勝ち組は約束されたようなもの。実績も、人脈も、すでに揃っている。それなのに、なぜ。
「大将や吉祥寺の方々に支えられて、結果も出せたと思っています。ただ、吉祥寺で培った営業スタイルで、いつか自分の店を持ちたいと思っていて。そんな時に、開業資金を全額負担をしてくれる、 更に、本来個人では出店が難しいエリアでも独立が可能となるシステム『トラナビ』があると知って。どこでもやれる覚悟はあったので、まさにそのチャンスが巡ってきたと思いました。」
そこで提案されたのが、銀座だった。話が来た瞬間、河埜氏は二つ返事で「やります」と答えた。
「むしろ、世話になった街だからこそ、他で独立しようと決めてました。」
吉祥寺で築い上げた「庶民の一杯」と、人との関係性。それは、どの場所でも通用するはずだ。そう信じての決断だった。
「銀座って、誰もが知る一番価値のある街じゃないですか。だからこそ、そこにセレブだけじゃない界隈を作りたいんです。庶民が普段使いできる銀座。それを目指します」
味へのこだわりも、もちろん妥協はしない。
「武道家ベースの濃厚な茶褐色のスープに、鶏油を合わせ...
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