中国の元首相・朱鎔基が北京時間2026年8月12日11時06分、北京で97歳で逝去しました。朱鎔基は改革開放後、中国経済の中枢で長年活躍。副総理・首相として12年間、国営企業改革、為替自由化、分税制、WTO加盟などを推進し、中国を市場経済へと導きました。その結果、中国は歴史上最高の成長期を経験しました。

一方で、改革の代償として、多数の国営企業が整理され、大量の工人が下岗(失業)しました。この点が社会的批判の対象となりました。しかし、経済学者の多くは、彼の改革が中国の成長モデルの基盤を築いたと評価しています。

朱鎔基は民衆からの支持も高く、香港の世論調査では、引退後も長年にわたり政治家の人気ランキングでトップを維持しました。新華社は彼を「党と国家の卓越な指導者」と称えました。

彼の子供たちも金融界で活躍しています。息子の朱雲来は中国国際金融公司(CICC)のCEOを10年間務め、娘の朱燕来は中国銀行香港の副総裁を務めました。

朱鎔基の政治的経歴は波乱に満ちていました。1950年代に「右派」として批判され、党籍を剥奪。文化大革命中は「五七幹校」で5年間の労働を強いられました。1978年に復帰し、国家経委で再出発。1987年に上海に転出し、市長、その後市委書記に就任しました。

1989年の民主化運動の際、彼は上海で軍の出動を避け、市民との対話を重視する姿勢を示しました。この判断が評価され、その後の昇進につながったとされています。

上海では、浦東新区の開発を最優先課題としました。当時、黄浦江の東岸は未開発地帯でしたが、朱鎔基は鄧小平の支持を得て、開発を実現。オーストラリアの陸克文元首相は「彼は夢を見ていた」と回想しています。

1990年代初頭、中国は改革の方向性を巡って「改革派」と「保守派」の対立がありました。朱鎔基は鄧小平を支持し、市場経済路線を推進。1991年の『皇甫平』論争では、改革の必要性を主張する論説を上海のメディアを通じて発信しました。

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  • 出典:PR Times
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