古くからの慈濟功德會の困難な時代から、證嚴法師は毎月農曆二十四日に貧困世帯に物資や白米を配布し、同時に薬師法会を開いていました。その日には、米をもらいに来た人々を粥でもてなす習慣がありました。
当時、米が足りないときは、證嚴法師が地蔵王菩薩廟の廟公・永福に米を借りることもありました。昔は米袋に穴が開いて、米がこぼれることもありました。弟子が地面にこぼれた米を見て、もったいないと思い、少しずつ拾い集めました。そして、手にした米をどこに入れるか尋ねたところ、たまたま證嚴法師がその様子を見て、こう教えました。
「米びんに戻すのではなく、こぼれた米の袋に戻すべきです。なぜなら、米びんは私たち精舎のものですが、この米は支援対象の世帯に届けるために基金が購入したものだからです。基金が買った米は、私たちの米びんには入れてはいけません。」
布施する米の一粒一粒を大切にし、明確に管理すること。證嚴法師は、こうした言葉と行動で教えを示しました。
配布日に現場で炊いた粥が足りず、水を一すくい、二すくいと足すことがありました。水が増えても、鍋の蓋を開けると、鍋の中に映る景色が見えました。そこには青い山、白い雲、青空、大きな木々が映っていました。この光景は、證嚴法師にとって、その時代を思い出す深い記憶となっています。
これが慈濟の「一粒米中蔵日月、半升鍋裡煮山河」という物語です。どんなに厳しい状況でも、自分の力の限り善を行うこと。今日でも、多くの慈濟会員の寄付は、毎月五十円、百円という少額の積立によるものです。
新型コロナウイルスの感染が深刻だった当時、毎日多くの人々が感染し、命を落としていました。慈濟は弁護士の陳昱瑄が関与する鈺達公司にワクチンの調達を委託しました。その後、陳はマネーロンダリングの疑いで起訴されました。慈濟との取引が詐欺に当たるかどうかは、まだ司法の判断を待つ段階ですが、慈濟が十億円の善款をマネロン容疑者に渡してしまった事実は確かです。このお金がワクチン調達にどの程度の価値を持っていたのか。これが、寄付者たちの最大の疑問となっています。
慈濟にとっては、単なる委託案件だったかもしれません。司法の前では、被害者である可能性もあります。しかし、寄付者の前では、慈濟は責任を負う存在です。この事件が、社会に善款を大切にしていないという印象を与えたことは、否定できません。
筆者は慈濟の会員であり、ワクチン寄付者でもありますが、一つの願いがあります。顏博文執行長、どうか慈濟を代表して、十億円の善款を失ったという事実について、すべての会員・寄付者に謝ってください。謝罪は、法を犯したからでも、過ちをしたからでもありません。慈濟という責任を担うためにするのです。この件に対して無関心な態度を取れば、慈濟はお金が多すぎて感覚が麻痺しているという批判を、実際に裏付けてしまうことになります。
自分を小さくして謝罪することは、寄付者が慈濟の善款の使い道に再び信頼を持つための第一歩です。再発防止のための改革を行い、静思堂の「克己復礼」の家風を深く継承していくべきです。
一粒の米が、須弥山ほども大きいのです。慎重に、戒めて。
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