1666年9月2日未明、ロンドンのパン屋で火災が発生しました。この火災は、当初は小さな出来事に思えたものの、数日でロンドン市の大部分を焼き尽くしました。約1万3200棟の建物、87の教会が破壊され、旧セントポール大聖堂やロイヤル・エクスチェンジ、ギルドホールも焼失しました。ロンドン博物館の資料によると、都市の約五分の四が破壊され、約10万人が住まいを失いました。
なぜ一軒のパン屋の火災が、これほど大規模な災害になったのでしょうか?理由は一つではありません。乾燥した夏、強風、密集した木造家屋、倉庫の大量の可燃物、そして近代的な消防体制の不在が、火災の拡大を助けました。しかし、もう一つの要因として、当時のロンドンに多く見られた「上層外挑構造(ジェッティ構造)」の建物がありました。
この構造では、建物の上層が下層よりも道路側に突出しています。結果として、一階では離れていた建物も、二階や三階では非常に接近し、屋根の間の隙間が狭くなります。火は道路を横断する必要がなく、隣の建物の外壁や軒を伝って上昇し、向かい側の上階に飛び火する可能性が高まりました。本来、道路は防火帯の役割を果たすべきでしたが、この都市構造ではその機能が大幅に低下していました。
さらに、1666年の夏は異常に乾燥しており、木造建築はまるで乾いた薪のようになっていました。風が強かったため、火花が遠くまで飛び、新たな火点が次々と発生しました。当時の消防手段は限られており、住民がバケツリレーで消火するか、長鉤で建物を倒して防火帯を作るしかありませんでした。しかし、市長が初期対応を誤り、建物の撤去が遅れたため、火勢は制御不能になりました。
旧セントポール大聖堂も、修理中の木製足場や周辺の大量の書籍・紙類により燃えてしまいました。火災の公式死亡者数は10人未満とされていますが、実際の死者数は不明です。貧困層や身元不明の死者は記録に残っていない可能性があります。
この大火を受けて、1667年に建築法が改正され、木造の突出構造が禁止され、石造・煉瓦造の建築が義務付けられました。ロンドンの都市景観は一変し、現代の安全な都市設計の基礎が築かれたのです。
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- 出典:PR Times
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